お父さんとお母さんが離婚したのは5年前。
当時、私は中学生で、3歳年上の兄は高校生。
2人とも受験で、学校から帰ってすぐに塾。夜遅くまで勉強していたから
母親の様子に気を留める余裕はなかった。
もっと正直に言うと、親のことなんて気にもしてなかった。
商社に勤める父はいつも帰宅が深夜。
朝8時には出社するので、7時前に家を出る。
平日に顔を合わせることはない。
たまに「今日は早帰り日だ」なんて夜9時頃に帰って来たら、皆が驚くくらいだった。
数年前のあの頃、父の会社で大きな問題が起こり
(新聞記事にもなった有名なあの事件だ)
その対策委員会のメンバーになった父は、帰宅時間が極端に遅くなっていた。
連日、深夜の1時半。
私が受験勉強を終え、寝る時間。
無論、電車はもう終わっているからタクシーでの帰宅だ。
30分で遅い食事と入浴を簡単に済ませ、2時には就寝。
そして朝の6時には起きて、また会社へ向かって行った。
土曜に出勤するのは当たり前、
日曜さえ、急に呼び出され会社へ行くことが増え、
父の姿を見ることがほとんどなくなった。
たまに家に居ても、ソファーでうたた寝ていることが多かったし、いつも不機嫌そうで、
心ここにあらず。
仕事のことで頭がいっぱいのようで話しかけづらかったし、
父から話しかけられることも、ほぼなかったように思う。
そんな時、母方の祖父が旅行先のタイで急死した。
旅行会社から電話連絡を受けた母はうろたえ、あたふたと支度も整わないままタイへ急行し、
バタバタと葬儀が執り行われた。
今なら私か兄がタイへ同行できたのに、と思う。
3月上旬、私達兄妹は受験目前、父は年度末決算を控え仕事で皆が佳境、
一人娘だった母がすべてを背負ってしまった。
祖父の葬儀を終えて半月ほどし、
兄と私、それぞれに合格通知が届いた頃、
母は床から起き上がれなくなり、寝付く日が多くなった。
それでも、私達に危機感はなかった。
疲れたのだろう、としか思わなかった。
春休みは私も少し家事を手伝ったが、4月になって高校が始まると
部活や、友達とのカラオケが楽しくて帰宅が遅くなった。
大学生になった兄は、もっと帰宅が遅かった。
しかし、父の帰宅は更に遅い時間だった。相変わらず。
その頃の私には、母の寂しさなど想像もつかなかった。
気遣う思いやりもなかった無神経さを悔いる。
深夜、帰宅した父に母が金切り声を上げるのを初めて聞いた時は
心臓が凍り付く怖さを感じた。
2階の部屋から階段を下りて様子を伺うと、
母が大きく目を見開いたままボロボロと涙をこぼしていた。
怒りに震えるかのように全身をわななかせて。
兄も何事かとやって来た。
父は、「なんだかわからない」とイライラした声で答え、
「明日も早いんだ。勘弁してくれ。」とご飯にお茶をかけ、漬物と一緒にかき込んだ。
あの時、父に母と話し合うことを促せていたら、未来は変わっただろうか。
いや、上手く解決へ導ける力など、兄にも私にもあの当時はなかったのだ。
それからしばらくして両親は離婚、私たち兄妹は母の実家で
おばあちゃんと4人で暮らすことになった。
昨年、兄が大学を卒業し就職した春、お祝いにと父が私達兄妹をフレンチレストランへ連れて行ってくれた。
忙しかった仕事も一段落ついたようで、父は終始にこやかで優しかった。
元々は、こんないい父親なんだよなぁ。
まじまじと父の笑顔を見詰めた。
帰り際、「今度、会わせたい人がいる」と父が口ごもりながら言って、
ああ、なるほどと分かった気がした。
妙にお洒落なレストランを知っているなと不思議だったんだ。
その翌月、初めて父の恋人クミさんと会った。
予想をはるかに超えた若い美人なのに驚いた。
父と同じ部署で数年前から働いていた同僚だそうだ。
付き合い始めたのは父が離婚してからだとクミさんは強調した。
そして今は転属になり、違う部で課長をしているらしい。
46歳の父に31歳の美女、お似合いとは言えなかったが、
当人同士は違和感を感じないようで、ハキハキと場を仕切るように話すクミさんに
早くも父は尻に敷かれる格好だった。
クミさんはお嬢様然とした美貌でありながら、仕事のデキる女で頭の回転が速く、気が利く。
母とは全く異なるタイプだ。
兄は私の隣で、クミさんの笑顔に照れて、「はあ。はい。はあ。」を繰り返していた。
行く行くは籍を入れることも、お前たちがいいと言ってくれるなら・・・と父が言いだし
特に私達も反対せず、「お父さんはお父さんで自由に幸せになってくれたらいいから」と答えると
翌月には、「来春に結婚のつもり」とさらっと言われ、驚いた。
ニコニコとクミさんは笑いながら、
「シュウくん、ミチカちゃんもお式に出てくれる?」
えっ!結婚式や披露宴もするの?と、またビックリ。
家へ帰って母に話すと、もちろん母もそのことは報告を受け知っていた。
「30女が焦ってるのよ、結婚を。」
蔑むような冷笑を浮かべて言い放った。
今年の始めに結婚式・披露宴への招待状が兄と私に届いた時も、
母は「ハッ!」と一笑し、
「行ってやりなさいよ!
来てほしいって言ってるんでしょ?行ってあげれば。」
と言い捨てた。
複雑な気持ちだったが、父の新しい門出を祝いたいとも思ったので
出席の返事を郵送した。
ところがその翌月の2月、父と会った際、クミさんも一緒に来ていて
披露宴で兄は祝辞スピーチ、私にはピアノを弾いてほしいと頼まれた。
「ミチカちゃん、とってもピアノが上手なんだってね。
コンクールで優勝したんでしょう?すごーい!」
小1の時のことを持ち出して褒められても困ってしまう。
曖昧に笑って
「でも私なんか・・・・・。何を弾けばいいのかもわからないし。」
と、やんわり断ったつもりが
「あ、じゃあ私リクエストしていい?
カエラの『Butterfly』がいいなあ!私あの曲、大好き。
カラオケでもよく歌うの。ね?」
父がうなづいている。
カラオケ、二人で行ってるんだ~ ふ~ん・・・
なんとなく言葉を失ってしまっていたら、いつの間にか弾くことが決定していた。
3月もクミさんは父と一緒に現れ、披露宴の進行スケジュール表を見せ、
兄と私に「確認」をした。
慌ててピアノの練習をし始めたわけだが、母が不在の時を狙って、になる。
買い物へ出かけた隙に弾いていたら、いつの間にか帰って来ていて
「なんでそんな曲、弾いてるの?」
と不機嫌そうに言った直後、ピンときたようで
手を握りしめ、黙り込み、部屋を出て行った。
おばあちゃんも、「なんだか・・・ねぇ・・・」と困り顔。
今からでも断れば・・・と言い出したのを母が遮った。
「なんでよ?
断ったりしたら、祝う気持ちがないみたいで失礼よ。
祝ってあげたらいいじゃない。ねぇ?」
そして、4月。
式、当日。
兄と私はこの日のために買った新しいスーツとドレスを着てホテルへ向かった。
玄関を出る時、母がホコリを払うように兄の肩をポンポンと叩いて言った。
「シャンと立派にスピーチしてらっしゃい。」
花嫁姿のクミさんは、いつもより一層きれいだった。
チャペルウエディングに出席するのは初めてでドキドキしたが、
神父の前で誓うのが父なものだから、なんとも気恥ずかしい思いで少しうつむいてしまった。
式、披露宴には会社関係の人が大勢、招待されており、
皆、知り合い同士のようで会話が弾んでいる様子だった。
私達は奥の親族席のテーブル。
久しぶりに会うおばあちゃんがすごく喜んでくれた。
一年前よりずいぶん足腰が弱っているようだし、食も細くなっている。
出されるお料理を
「残したらもったいないから、ミチカが食べてよ。
ほら、食べれるでしょう!若者はいくらでもおなかが空くものねぇ」
と押し付けてくるのに困った。
兄と分け合って、どうにか食べきったが、1.5人前のフルコース料理を食べたことになり
おなかが苦しい・・・!
父の会社の偉い人の祝辞が続き、いよいよ私たちの番になった。
まず、兄がスピーチした。
父への感謝、新しい門出を祝う言葉、
クミさんという素晴らしい方との巡り会いを自分たち子供も嬉しく思っている。
「・・・・こんな父ですが、どうぞよろしくお願いします」と兄が言うと
新婦席のクミさんがニコッとうなずき、父が肩をすくめた。
すると場内はワッと笑い声で沸いた。
私がピアノを弾き始める。
Butterfly 今日は今までの どんな時より素晴らしいーーーーー
お母さんと結婚した時よりも?
私達が生まれた時よりも?
・・・・ああ、今、そんなことを考えちゃだめだ。
一生懸命弾かなくちゃ、クミさんがリクエストした、クミさんの好きな曲を。
弾き終わると長い拍手をもらった。
「いいお子さんたちだね!」
「二人ともしっかりしているね。」
褒めてもらう声が聞こえてくる。父が嬉しそうに照れ笑いしている。
クミさんも幸せそうだ。
宴が終わり、花嫁の着替えを待つ時間、ロビーで父と少し話ができた。
今日はありがとう、本当にありがとう、と何度も礼を言われ、
父がこんなに喜んでるなら良かった、と思った。
「ごめんねぇ~ 時間かかっちゃって。お待たせ。」
ワンピースに着替えたクミさんが現れたのをきっかけに私たちは立ち上がった。
「お前たち、朝は電車で来たのか?タクシーで帰れよ。」
父が兄のポケットに1万円札をねじ込んだ。
お車代はもう頂いたから、と返そうとしても「いいから!」と父は兄の肩を抱いた。
「お前は自慢の息子だ。
お前たちは自慢の子どもたちだよ。」
「親父、酔ってるだろ?」
兄が照れて笑った。
父の傍らに寄り添うように立ち、クミさんが花のような微笑みを浮かべる。
「本当に今日はありがとう!シュウくんのスピーチ、堂々としていてさすがね。
ミチカちゃんのピアノもよかった~!
この曲、特別な想い出ソングになっちゃった。
聴くたびにミチカちゃんに弾いてもらったこと思い出すわ。」
そうだね、私達も、そして母もこの曲は特別な曲になっちゃったよ。
2人に見送られ、タクシーに乗り込む。
「気を付けて帰ってね~
また一緒にお食事しましょうね!」
並んで手を振る父とクミさんを見ながら、お似合いかもしれないと感じた。
さよなら、私達のお父さん。
引き出物の入った大きな紙袋を下げながら、玄関先でちょっと躊躇した。
母にどんなふうに報告したらいいものやら・・・・・。
「早く鍵、開けろよ。」
兄が急かす。
「どうもこうもないよ。
式の後、撮った親族の集合写真。
あれだって、そのうち渡されるんだぜ?」
そうだね。
ホテルでついた空気をふるい落とすように、ちょっと肩をゆすり
ふぅ、と息を吐いて、「ただいま」とドアを開いた。
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